【2017年4月】

それを初めて思ったのは、小学校3年生か4年生くらいだったと思います。なんで、「自分」って、「私」って、思うんだろう? お父さんでもお母さんでも、お友達の誰々ちゃんでも、全く知らない人でもなく、「私」。なんで私は「私」って思えるの? なんで「私」は他の人じゃないの? 私が「私」じゃなかったら。そんなことも有り得るの? いわゆるアイデンティティってやつですかね。今でもその問いに答えは出ていません。答えを出す必要性はもともと感じていなかったので、転がったボールのように放置してあります。

また、その頃からかは覚えていませんが、今いる状況の俯瞰を想像するのもよくやっていました。体育館での集会のとき、上から見下ろしたところを想像したり、ステージからの景色を想像したり。ただの暇つぶしだったかもしれませんが、けっこうリアルに想像できていたと思います。イメージとしては、幽体離脱ですね。霊とか信じてないけど。

そんな子供時代を過ごしましたが、いつの間にか考えたり想像したりもしなくなっていました。中学生になるとこれまでになかった外からの刺激が一気に増えたので、内側に目を向ける余裕がなかったのかもしれません。うん、普段は忘れているけどいろんなことがあったなぁ。まさに青春。自分年表とか作ってみたい。赤裸々すぎるので鍵かけるけど。そんなこんなで、数十年経ったわけですが。ネットの海を渡っていたら、「離人症」という言葉に遭遇したのです。

離人症【りじんしょう】

人格喪失感。自分自身が行動していながら実感が伴わない,自分が本来の自分と思えない,という自我意識 (→自我 ) の障害が中心になって,自分の身体が自分のものという感じがしない,という身体意識の障害や,物を見ているのにピンとこない,という対象意識面の障害などを伴う症状。 |出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク)

ん、あれっ 思い当たるフシがすごくあるぞ…? とはいっても、生活に支障が出るほどでもなく、いっそのこと「夢見がち」で片付けられそうな範囲ですが。不満のある人生への現実逃避という防衛手段、とまで言うと大げさだし。でも確か学校で習ったと思うけど、「○○症」と分類されるか「傾向がある」程度で収まるかの差で、誰もが何かしらの症状があるとのことなので、気に病んだりはしませんが。大概の判断基準は「病的であるか」です。これは中学生の時にぽっちゃり気味だったことを気にしていた私に、お友達が「でも病的じゃないじゃん」と励まし? てくれたことが根底にありそうです。病的じゃなきゃいいってわけではないですが、なにかストンと落ちてきました。

そんな私ですが、わりと自分大好きです(笑) 決して立派なことはなく、自信があるわけでもなく、特技もないし、全体的に低スペックですが。それでも自分のことは好きです。周りの人に恵まれているからだろうなあ。有難いことです。

底辺でのんびりマイペースにやったらいいじゃない。という、自我意識からのまさかの結論。これだから散文は楽しい(笑)